好きな映画

久しぶりの更新。

せっかくアマゾンプライムに加入しているのに最近全然観ていない。ということで今回は個人的におすすめの映画についてざっと語っていこうと思う。

ではさっそく。

 

1作目:「グランド・ブダペスト・ホテル

これはなぜかよくわからないけど印象に残ってる。コメディで気楽に観れる。映画に全然詳しくないけど、どうやって撮影したんだろうってくらい圧倒されたし、セットがすごすぎた。

 

2作目:「セッション」

説明するとネタバレになっちゃう映画だからネタバレにならないように説明すると、どう考えてもアウトな指導を先生がし続けて生徒が最終的には最強になる話。笑

途中観てて超いらいらするけどラストまで耐えて、、、!ラストについては考察がいろいろ出てるから観終わった後にネットで考察見るのもあり。

 

3作目:「ダブル・フェイス」

香港の映画を西島秀俊香川照之でリメイクした映画。潜入捜査編と偽装警察編の二種類あってどっちもおもしろい!真逆の世界の二人が交わったときがやばい、、ってなった。(西島秀俊香川照之が出てる映画ってだいたいおもしろい気がする、例えばMOZUもおもしろかった。)

 

4作目:「鍵泥棒のメソッド

これも香川照之が出てるんだけど、全部がつながってるし、テンポよく話が進んでいくから観やすい。何回も観かえしたくなる映画。

 

5作目:「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」

漫画からアニメ化もしてるんだけど、何か観たいな~って時に何も考えずに観れる映画。超天才の生徒会長と副会長がプライドが高いから自分からは言えずに、お互い告らせようといろいろ試していく話。とりあえずおもしろい。

 

こんな感じかな~。今回は東野圭吾なしでまとめてみた。

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネットリテラシー、伝え方

今回はネットリテラシーと伝え方について書く。

このテーマにした理由はSNSやニュースで試験が不合格であったことについて様々な書き込みがなされていることを目にしたからだ。

正直自分でも伝えたいことを上手く書けているかはわからないけど最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


まず前提として、ある人物や関係者の一連の問題について、私は擁護しようとも、否定しようとも思っていない。なぜなら、その一連の問題について自分の意見を言えるほどの正確な情報を持っていないからだ。


その上で、冒頭に書いた通り、昨日一昨日と試験が不合格であったことについて、様々な書き込みを目にした。その中には酷い言い方だなと思うものがいくつもあった。

時と場合によるけど、誰に何を言うかは個人の自由であって他人にはそれを止める権利がないのはわかっている。

ただ少なくとも自分らは話題になっている試験を経験したわけではないのだから、意見を言うにあたって、当事者がそれに向けてどんな思いでどんな風に過ごしてきたのか、可能な限り想像した上で発言するべきだと私は思った。


これはその試験は大変なんだから他人が口出すなとかではなく、どんなことに対してもという意味でだ。


自分なりにしっかりと想像した上で当事者に対してやはりマイナスな意見がある!!ってなったならそれは意見を発信すればいいと思う。

ただ想像した上での意見なら、表現の仕方が、選ぶ言葉が変わってくるんじゃないかと思った。

少なくとも経験したことのないことに石を投げるような表現にはならないと思う。


常にめちゃくちゃ考えてから発言しろって言いたいのではない。そんなに考えてたらパンクすると思う。ただ最低限、相手のことを考えるという視点は持つべきなのでは?ということだ。

今の社会、情報自体はさまざまなところに転がっている。でもその情報を全部見ることは現実的ではないし、目にした報道もどういう切り取り方をした上で自分たちに提供されているものかはわからない。

しかもネットという不特定多数の人が見られる環境に、自分が会ったこともない人に対しての意見を匿名で発信しようとしてるわけだからなおさらちゃんと考える必要があると思う。


ちゃんと考えてみれば会ったこともない人に対してネットで意見を発信するのはやめておこうってなるでしょ?と言いたいのではない。むしろ人が共存するには互いに意見を発信し、歩み寄ることが不可欠であるから発信することはとても大切なことだと思う。

私が言いたいのは発信するときに相手がどう感じるかを考えるべきだと思うということだ。


正直、今このテーマのブログを書いていて怖い。なぜなら、冒頭で述べた通り、一連の問題に対して私は擁護も否定もするわけではなく、あくまで中立の立場で書いてきたつもりだが、「擁護も否定もしないって言ってるけど、正直ちょっと擁護寄りなのでは?」と読んでくれている人は感じる可能性もあるからだ。

すると、私はこのブログを通して、「発信するときに相手がどう感じるか考えるべきだ」ということを伝えたいのに、中立ではなく擁護派だと捉えられることで、私がこのブログで伝えたいことは極端に言えば「一連の問題についてある人を擁護する。だから、ネットで批判するのはやめろ。」ということだとなってしまう恐れもあるからだ。


自分がどんなに中立で書いてきたつもりでも、読んでくれている人からしたらそうとは思えず、ギャップが生じ得る。

このギャップが生じてしまうと、伝えたいと思って発信しているのに、伝えたいことが伝わってないかもしれないと思ってしまい、寂しい。でも、このギャップはまさに相手がどう感じるか考えようということを示していると思う。

もし今回ギャップが生じてしまったのなら、それはまだまだ私の発信の仕方が甘く、相手がどう感じるか考えきれていないということだ。

自分が相手に伝えたいと考え、相手がどう感じるか、どう表現したら伝わるか考えていくことで、相手もこの人は何を伝えようとしているのか?と歩み寄ってくれるようになり、お互いがギャップを埋めようとすると思う。

だから伝えたいことが伝わるように、逆に伝えようとしてくれている場合は相手に歩み寄ることをもっと頑張ろうと思う。


拙い文章を読んでいただきありがとうございました。上手く伝わってると嬉しいです。(そもそもこれ読んでくれてる人の中にネットで暴言書いてる人なんていないけど笑笑)


以上



趣味:手術 特技:手術

最近ドクターXのシリーズの放送がまた始まった。

今回のテーマとして書いた「趣味:手術 特技:手術」というフレーズはドクターXを観ている人にはおなじみのフレーズだと思う。

ドクターXはざっくりいうと、どこの病院にも属さないフリーランスの医師、大門未知子が「私、失敗しないので」というセリフの下、どんな手術も完ぺきにこなしていくというドラマだ。

 

この大門未知子の履歴書の趣味及び特技の記載欄にはそれぞれ手術と記載されている。大門未知子はそれくらい手術が好きらしい。

ふと、趣味や特技がそのまま仕事につながると楽しいのでは?と思った。もちろん、現実の世界では、当事者からすれば苦労することもたくさんあると思うが、仮に自分の趣味や特技が仕事につながったら楽しそうだなと。

 

ではあなたの趣味は?特技は?と聞かれたら、「運動」?かなと思ったが、もしかしたら一番の趣味・特技は「学習」かもしれない。

もちろん追い込まれた時の精神状態は自分でも引いてしまうくらい荒れてるし、結果が出ず落ち込むこともよくある。今日は机に向かいたくなーいっていう日もある。

でも、なんだかんだでいつも机に向かっている気がする。学習することが苦ではない。むしろ、うまくいかなくて落ち込むと同時にじゃあどうしたらいい?と考えることを楽しんでいる気がする。

ということは「趣味:学習 特技:学習」と言ってもいいのでは?

 

弁護士は生涯学習だとよく言われている。法律は日々改正されるから自分が司法試験に受かった年の法律をわかっていればいいのではなく、改正されればまた勉強しなおした上で、新しい法律の下でクライアントにサービスを提供する必要があるからだ。

 

つまり、「趣味:学習 特技:学習」が弁護士という仕事につながることになる。となると、自分にとって弁護士は天職かもしれない。なんかやる気が出てきた!!よし、頑張っちゃおう!!

 

※とうとう意味のわからないこと言い出したと感じた方、温かい目で見守ってください。笑

 

今回ブログっぽいな。笑

 

では。

 

 

 

 

 

今回は道徳?

この前電車であったの出来事について書く。

 

混んではいなかったものの席は全部埋まっていたから入り口付近に立っていた。

すると次の駅で、高齢のおばあさんが足元をふらつかせながら乗ってきた。おばあさんに気が付いた高校生の男の子が「どうぞ。」と言っておばあさんに席を譲ろうとした。が、おばあさんは男の子に対し「私座らないから!」と周囲の人も思わず振り返ってしまうような声で言った。

男の子は「あ、すみません。」とだけ言ってスマホに目線を戻していた。

 

まあよくある話なのかもしれない。

ただもし自分がその男の子の立場だったら、あんな言われ方をしたらびっくりするし、なんか恥ずかしくもなる。そして悲しくもなる。

 

なんでおばあさんはあんな言い方をしたのだろうと考えてみた。

年寄り扱いされた気がしたのか、男の子の譲り方が気に食わなかったのか、それともあんな言い方と自分が感じただけで、おばあさんからしたらただ断っただけだったのか。

 

まあどちらの立場でも、考えれば考えるほど、いろいろ考えが出てくる。

 

ただ、やっぱり伝え方って難しいなと改めて感じた。

もし断るとしたら、自分だったらどんな断り方をするか、どんな伝え方をするか考えてみようと思う。

 

なんか今回は小学校の道徳の時間みたいな感じだ。

以上

 

 

ファイルできるようになりたいです

今回はすごいどうでもいい内容です。

 

秋学期が始まって約一週間経つ。秋学期から大幅にノートの取り方を変えた。

今までは手書きで紙媒体でノートをとっていたが、今学期から授業のノートはすべてWordでとることにした。

主な理由はだらしがないからだ。というのも、授業直後にノートをすぐにファイルすることを億劫に感じてしまい、その結果教科書に挟んだり、他の科目と混ざったり、ひどいときは紛失して出てこないということもあった。

 

こんなことは、めんどくさがらずに、毎回ちゃんとファイルすれば解決する話だが、なぜかそれができない。自分が後から苦労するとわかっていても、ファイルせずに毎回どこかに挟んでしまう。その結果、毎回どこにやったけ、、、?と探し、時間を無駄に浪費してきた。

そんな感じなのでWordへ切り替えた。

 

授業ではWordを使うようにしても、過去問は手書きで書かなきゃいけない。結局は書いたものをすぐにファイルする癖をつけなきゃ根本的な解決にはならないが、とりあえず授業ノートを探す必要はなくなったから一歩前進?としておこう。

 

 

以上

 

モノにする

同期とグループワークでの自分たちが情けなさすぎるという話をしたので、今回はその点について最近感じたことを書こうと思う。

少々ネガティブな内容もあるが、決して悲観的になってるわけではなく、むしろここからだと思って書いてるのでご安心ください。笑

では本題へ。


最近自分の無能さを痛感することが増えた。が、無能ゆえに変なプライドを捨てることができた気がする。

無能だと感じたきっかけは上で述べたようにグループワークだ。グループワークではリーダー的な役割を担う人や積極的に発言してくれる人、なんかすごい革新的な意見を言ってくれる人などメンバーが各々、何かしらの役割を果たしている。

さあ、自分はいったいどんな役割を果たしたのだろう。と、毎回考えさせられる。おそらく指示に従い、期日通りに終わらせたくらいかという結論に至る。果たしてそれを役割と言っていいのか。

もちろん意見は述べるが、新たな提案をしたわけではない。すでに出ていた意見に対する補強をしただけだ。(まあ補強も大事だが、今回は置いておこう。笑)

そんなことを考えていると、あれれ、自分何もしてないじゃん、無能だ~という風になってしまう。

ただ無能なら無能なりにできることを考えなければならない。疑問があれば質問をする。明らかな勉強不足で生じた疑問ならその場では猛反省して謝って教えてもらう。そして終わってから復習する。結局はその繰り返しだ。わからないままにしてては今後に活かせないし、わざわざ教えてくれた相手の時間を無に帰することになるからだ。そんなこんなしているうちに、聞くのは恥だという変なプライドは捨てられた。幸いなことにメンバーは理解できるまで付き合ってくれる。恵まれたなと毎回思わされる。

ただ勉強量が足りない以外の問題として、そもそもメンバーの中にはなぜそんな考えを思いつけるのか、どこでそんなこと知ったのか、というとんでもない視点を持ってる人がたくさんいる。

彼らと自分の違いはなんだろうと考えた時、経験をモノにできてるかどうかだと感じた。なんでそんなこと知ってるの?どこからその視点が出てくるの?と聞くとだいたいの答えはもともと興味があったから詳しく調べた、留学で知った、実務家にアポ取って話を聞いた、オフィスアワーを設けてもらった、などというものだ。

どのメンバーも自ら行動して経験したことをそのままにしていない。堂々と発言する様子を見るたびに、この人たちは経験したことをさらに深掘りして自分のモノにしていったんだろうなと思った。

そんなこと簡単にできると思う人がいるかもしれない。自分自身、今まで「行動して自分のモノにする」ことができてるつもりでいた。が、実際は全くできていなかったことを痛感した。グループワークで実際に人の話を聞いて、これが本当の「行動して自分のモノにする」ということかと実感した。だから尚更、それができているメンバーがすごいと心から思う。

さて、自分にはどんな経験があり、それをどうモノにしていくことができるか。色々と考えたがそう簡単に答えは見つからなかった。でもとりあえず、時間はかかるかもしれないけど、淡々と頑張ってみようと思う。


長々と書いてしまった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。では、また次回。

以上。


読書の秋到来

ここ数日急に寒くなり秋が来たのか、、、?という感じです。

今回のテーマは「読書の秋」です。

 

現在ロー・スクール2年次の夏休みである。

つまり3年間のロー生活の折り返し地点に立っていることになる。入学してから日々の授業の予習・復習、中間・期末試験の対策など常に何かに追われ、のんびりと何かを考える時間がほとんどなかった(それがロー・スクール生の宿命と先輩には言われた。)。

その結果、学部時代は1ヶ月に少なくとも5冊程度の本を読むようにしていたのに、今となっては1冊読めればいいペースという風になってしまった。電車でも学部時代は小説か大学の図書館で借りた本を読んでいたのに、今は択一対策(正誤問題)をしている。

さすがに8・9月の夏休みの間に何冊かは読みたいと思っていたが、8月はなんだかんだで小説を1冊しか読めなかった。しかし、運がいいことに9月は時間に余裕ができそうである(もちろんこの期間に秋学期の予習はします。)。

そこで9月に読もうと買った本を簡単に紹介してみようと思う。

 

1冊目は「沈黙のパレード」。東野圭吾作品で、ついこの前やっと文庫化された本だ。名作である「容疑者Xの献身」や「真夏の方程式」と同じガリレオシリーズの作品である。東野圭吾の魅力の1つに読者を没頭させ長編を一気に読ませるという点があるから、きっと「沈黙のパレード」も3日あれば読み終わってしまうはずだ。

ちなみに8月に唯一読んだ本は「白鳥とコウモリ」という作品で、この作者も東野圭吾だ。この作品も予想通り一気に読まされ、2日で読了。弁護士や検察官も出てきて内容も満足。

 

2冊目は「新・弁護士の就職と転職」という最近話題の本。これはふだんお世話になっている弁護士の方に「最近いろいろな分野に興味を持ってしまい、将来の方向性が定められず、困っている。」という相談をしたところ、おすすめされた本だ。すでに数ページほどであるが読んだ時点で、この本はロー・スクール生にピッタリの本だと感じている。ロー生活の折り返し地点というタイミングで読み始めて正解だったと思う。なので、ぜひ。

 

正直もう1冊、東野圭吾を読みたいが、さすがに秋学期の予習をしなきゃまずい。ということで読書の秋はこの2冊で我慢しようと思う。

急に寒くなったから読書の秋とかいってるけど、もし来週からまた暑くなったら、自分の性格上、都合よく、まだ夏は終わってないとか言ってそうな気がしなくもない。

最後まで読んでいただきありがとうございました。では、また次回。

以上。